つぶやき注目度:
鎌倉街道に関係する露橋とか日置とかへ行ってみました。古いお屋敷も残り、なかなかの風情。で、西日置にある鹽竈神社は名古屋築城時以来の由緒があり、福島正則奉納の手水石も残る神社です。天保6年(1835)にここに遷座されたということで、信長研究者としては通り過ぎてしまいがちですが… https://t.co/HwMYqXQ91b
PEACE返りナーフ
清洲城武将隊天下布武
服部小平太参戦
織田信長の家臣として、桶狭間の戦いにおいて1番先に敵将今川義元に斬りかかるも、失敗に終わり負傷してしまう。
サバゲーでも、スタート特攻撃たれて返る、よくあるパターン。
果たしてナーフで再現なるか!? https://t.co/gdaRpdi7ir
久々にゆっくり新書の棚を立ち読みしつつ見ました。I先生やH先生の本で信長、家康といった私のわかる範囲の箇所を読みますと、なるほどこういうふうに書くのか、と。定説にちょっとだけ最新説を乗っけるわけでw 勉強になります。 https://t.co/yjEdkBmZka
三日天下の原因は、見込み客の放置にあった!?
戦国時代を勝ち抜いた名将たちが「IT技術を活用していたら?」という視点で7つの合戦を検証しました。
※掲載内容の一例
桶狭間の戦い:織田信長 vs 今川義元
山崎の戦い :明智光秀 vs 羽柴秀吉
関ヶ原の戦い:石田三成 vs 徳川家康
姉川の戦い 浅井長政に付きたかった徳川家康と織田信長を倒せるかもしれないけど、信長亡き後に待ってるのは桶狭間の戦いのあとのグッチャグチャな世界だと家康に諭す石川数正ら
背に腹は代えられないとは、この事かもしれない。
それにしても、この老婆 柴田理恵さんとは(笑) #どうする家康 https://t.co/xiS2b0OwkD
三日天下の原因は、見込み客の放置にあった!?
戦国時代を勝ち抜いた名将たちが「IT技術を活用していたら?」という視点で7つの合戦を検証しました。
※掲載内容の一例
桶狭間の戦い:織田信長 vs 今川義元
山崎の戦い :明智光秀 vs 羽柴秀吉
関ヶ原の戦い:石田三成 vs 徳川家康
永禄三年、桶狭間の戦いで今川義元を討ち果たした織田信長は、その直後、敵の放った一条の矢を受け、命を落とした。
だが、信長の命運は尽きなかった。
地下深く生息する幻魔の力で蘇ったのである。 https://t.co/6MWYrYA6iH
冲方丁『戦の国』読了。桶狭間の戦いから大阪夏の陣まで、六人の戦国武将のターニングポイントを捉えた作品。本作品集は、主役たちのモチベーションに光を当て、通説とは異なる解釈を持ち込んでいる。如何にオリジナリティを表現するかが著者の腕の見せ所なら、本作品は成功していると言えるだろう。 https://t.co/sgEvWr4KR8
今川義元
1519~1560 駿河国(現静岡県中部)
駿河国の戦国大名。今川家11代当主。花倉の乱に勝利し、当主の座につく。武田信玄、北条氏康と「甲相駿三国同盟」を結び「東海道一の弓取り」と呼ばれた。上洛を目指し、織田信長と桶狭間の戦い(1560)に挑むが、織田軍の奇襲に敗れ、戦死した。 https://t.co/tYLsrQoq1b
つぶやき注目度:
もしかしなくてもあのおかだのぶなが様、尾張に居た頃本気でたけちよを自分が育てようとしてた可能性…🤔 桶狭間の戦いでは頑なにたけちよ呼びで「俺の白兎」発言&誇張 あの「待ってろよたけちよ…俺の白兎」は俺のたけちよを取り戻す時が来たって事なのか…?
三日天下の原因は、見込み客の放置にあった!?
戦国時代を勝ち抜いた名将たちが「IT技術を活用していたら?」という視点で7つの合戦を検証しました。
※掲載内容の一例
桶狭間の戦い:織田信長 vs 今川義元
本能寺の変 :明智光秀 vs 羽柴秀吉
関ヶ原の戦い:石田三成 vs 徳川家康
井伊直政、永禄4年2月19日、井伊直親の嫡男として、遠江国祝田(浜松市北区引佐町)で生まれます。翌年、父は今川家の朝比奈泰朝に討たれ、私も命が狙われる危険にありました。前年には桶狭間の戦いもあり、激動の時期に私は誕生したのです。家康様が織田今川の間で悩んでいる時期です。#どうする家康
金溜塗具足(きんためぬりぐそく):桶狭間の戦いの前哨戦・大高城の攻防時に若き日の徳川家康(当時は松平元康)が着用したとされる甲冑。この戦いで元康は重囲を冒して兵糧搬入を成功させ武名を轟かせた。見た目は派手だが造り自体は質素。国の重要文化財に指定されている。https://t.co/H5yxLBOfU9
Meetiαのお写真多くの方に撮っていただいてありがたい限りです。
ウチの踊りは題材こそ桶狭間の戦いや古戦場まつりだけれど、「現代に生まれ変わった英雄たち」という、あくまで踊っている自分たち自身を表現してます。
表情も人それぞれ違っていて、でもそれが自然体で良い。そんなチームであります。
@Sdkfz__181 ちょび髭総統『チキショウメーィ!!』←WW1伝令兵。戦時中、計五回勲章受章。最終階級伍長勤務上等兵に伝令兵から成り上がる例もありますし、マラトンの戦い、桶狭間の戦い、1917年イギリス軍スコフィールド&ブレイク兄弟の伝令等、軍事的にも重要職ですぞ? #戦国無双5
1581年4月25日(天正9年3月22日)は、
駿河国および遠江国の戦国大名・今川家の家臣で「桶狭間の戦い」では、討死した主君・今川義元の首を取り戻した。
今川家滅亡後は、武田信玄に仕え、遠江国・高天神城の城主となり「第二次高天神城の戦い」で徳川家康と戦い、討死した #岡部元信 の忌日 https://t.co/yEHnhfdQ5a
つぶやき注目度:
三日天下の原因は、見込み客の放置にあった!?
戦国時代を勝ち抜いた名将たちが「IT技術を活用していたら?」という視点で7つの合戦を検証しました。
※掲載内容の一例
桶狭間の戦い:織田信長 vs 今川義元
本能寺の変 :明智光秀 vs 羽柴秀吉
関ヶ原の戦い:石田三成 vs 徳川家康
日曜日に事務所近くの熱田神宮へ出かけた。今年の大河ドラマは家康が主人公。でも信長が目立つので改めて信長の躍進のきっかけとなった「信長塀」を見てきた。桶狭間の戦いで勝利して寄進された信長塀。丁度結婚式を挙げて写真撮影していた皆さんと遭遇した。 https://t.co/iiaEo4kBAE
お店にあった大竹君の本を見ながら、三浦屋でカレー煮込み。すみません、例年がんばって参加していた「カレー煮こみスタンプラリー」、今年は三浦屋一軒で終わりそうです。申し訳ない。
しかし美味いよね、カレー煮込み。鍋底までさらってしまう食べ物ってそうはありません。#名古屋めし https://t.co/rKp1ok3p3A
この石河氏は元斎藤道三の家臣で、信長の配下になった美濃鏡島の石河木工兵衛(1568年没)の孫で、義直の異母兄(母が家康側室)。信長美濃攻略時の家臣団の末裔へこうしてカッパからつながった次第。 https://t.co/oVcbJrZj07
ソノ生涯は3度の絶望がアリました
お市の方は1547年尾張(愛知)の戦国大名織田信秀の娘として生まれました
1560年半ば家督を継承した兄信長は桶狭間の戦いで今川義元を倒し勢力を拡大して居て美濃(岐阜)攻略の足掛かりとして北近江(滋賀)の浅井長政と同盟を結び20代前半のお市の方を嫁がせました
昔、読んだ本によると『織田 信長』は『うつけ(バカ)』と呼ぼれた頃にも商人を『スポンサー』にしていたらしい。
だから豊富な資金で『傭兵』を雇い、『柴田 勝家』なしでも『桶狭間の戦い』で勝てた。
新田を作るにも、その資金が使われたと想います。 https://t.co/QjePA4W0D6 桶狭間の戦いで今川義元が討たれてなかったら、間違いなく天下取ってたやろな。でも氏真がアホンダラだから1代だけの天下になりそうだけど。
わかりやすい、桶狭間の戦い
SKE48鎌田菜月さんが 豊明市で「桶狭間の戦い」に迫る! | NHK 【NHK】SKE48の鎌田菜月さんが「桶狭間の戦い」をテーマに愛知県豊明市を旅します。SKE48イチの歴史好き・鎌田さん、どんな発見があるのか!? https://t.co/IC3nyK99pm 桶狭間の戦いってワード聞くだけで大爆笑できる私幸せすぎるだろ
桶狭間の戦いから本能寺まで描いて欲しい…けど戦国武将悪い奴等しかいないと言う現実を描くなら桶狭間の戦いを描いたとしても嘘だったとかデキレースだったかもしれない…そもそも豊臣秀吉が裏で動き回って民衆を騙しまくった一番悪い武将な訳で…武田信玄も虚像を作り上げ実は黒澤明の【影武者】が
最近20時を過ぎるとはちゃめちゃに眠くなってくるわね。「もう寝ちゃおう」という思考と「まだ寝るのは早いしやらなきゃいけないことがあるでしょ」の桶狭間の戦いが毎晩繰り広げられてて辛い
テストで答えは「長篠の戦い」って分かってたのに「篠」が書けないから、まだ平仮名にすりゃマシのところを書けるからと言って「桶狭間の戦い」にした自分多分疲れてた。
特に桶狭間の戦いのリメイク版良かったなー!リメイク版家康が有能キャラなのは大河を意識してなのかも?いや元々有能なんだけどさ!
それによればもともと鹽竈神社自体が江川と笈瀬川支流が合流する無三殿杁あたりにあったようで、江戸も後期の文化13年(1816)にこちらへ移っているという。江戸時代のことはよくわからない不思議な神社です。1810年頃に日置村からこのあたり(日置村巾)へ百姓13戸の移転があった模様で、 https://t.co/OxNS0i98QU
歴史209
尾張(愛知県)の戦国大名だった織田信長は駿河(静岡県)の今川義元を桶狭間の戦いで破り勢力を広げた。
#勉強垢 過去にタイムワープした時に高確率で1560年桶狭間の戦い前後の尾張にワープする現象を、ご都合系天下布武症候群と名付けます(特許出願中)
『愛知県史』では9月初め頃に岡崎から直接、織田に出されたのではないかと。
「駿遠軍中衆矢文写」を読む限り9月下旬に岡崎に竹千代がいるから、県史は違っているし、松平記なんかあてにならないので、結局織田には行っていないのではということになるのか。さて?
例えば戦国時代モチーフの戦国SFTRPGがあるとして、そうだ伊達政宗出そう!と思ったらサプリに公式NPCがいたり、そうだ桶狭間の戦いネタをやろう!と思ったらもう設定がある。とかモチーフのあるTRPGってこういうので悩む。
#どうする家康
家康の三大危機のうち、後まだ二つ残っているので、まだまだ家康には伸び代があります。
桶狭間の戦いが最初の転機で、次の転機は本能寺の変ですね。
それ以降の家康は精神的に自立していけると思います。
その時を楽しみにしています。 織田信長の桶狭間の戦いは情報戦の勝利。田楽狭間(でんがくはざま)で今川義元が小休止している情報を忍びから手に入れ急襲。首を取った毛利新介より、義元の居場所を知らせた簗田広正(忍びの使い手)を優遇し、沓掛城を与えた。
@naishimasahiko 乃至先生の戦国時代の軍事に関する記事はいつも素晴らしいですね。
先生の記事では桶狭間の戦いに言及されていましたが、かぎや散人氏と竹内元一氏が提唱する「新説」をご存知でしょうか? グーグルマップで確認しながら歴史の本見る。桶狭間の戦いから三方原の戦いまで見た。大河の予習復習😚
SKE48鎌田菜月さんが 豊明市で「桶狭間の戦い」に迫る! | NHK 【NHK】SKE48の鎌田菜月さんが「桶狭間の戦い」をテーマに愛知県豊明市を旅します。SKE48イチの歴史好き・鎌田さん、どんな発見があるのか!? https://t.co/bzyLtbXnwr @Ray35197145 Rayさん、ありがとうございます☺️
距離感はですね♪
織田信長は桶狭間の戦いの時は清洲城から出陣しているので
清洲城から桶狭間までの距離感を車で走ってなんとなく感じたって事です🤭
ラーメンは見た目程辛くなく、味もクドくなく、ニンニクが効いててブラボーでしたよ🤤
また食べたいです🤤 【岡部元信(????-1581)】今川家臣。親綱の子。主家の領土拡大に貢献し、桶狭間の戦いでは決戦後も抵抗を続け、義元の首級を取り返して勇名を鳴らした。主家滅亡後は武田氏に仕えて高天神城を守ったが、第二次高天神城の戦いで武田本国からの援軍を得られず、敵陣に突入して討死を遂げた。
厭離穢土欣求浄土。松平家8代と徳川の菩提寺 大樹寺に到着。#どうする家康 では、桶狭間の戦いからもどった松潤元康が「俺はダメな男だ」と泣き崩れ、本多忠勝の介錯で自害しようとした場所ですね。江戸開府後、歴代将軍の位牌もあるそうですが、慶喜だけありません。 https://t.co/VniMkRRJsy
松平信定が安城松平を率いたのは、兄の松平信忠が反今川となったために大浜へと追放されたためか。同時に息子の清孝(清康)も家を追われて山中城に入ったのかもしれない。やがて反今川に転じた信定に同調しようとした清康は、1535年、親今川の家臣阿部大蔵に暗殺された、のか? #どうする家康 #信長 桶狭間の戦いというのは有名な割に謎が多い。昔は迂回路からの奇襲が通説だったけど、今は否定されていて、反撃で突撃した先が偶然今川義元隊だったという説もある。そもそも桶狭間の場所すら説が分かれているくらいだ。
何にせよ、今川義元が討ち取られて織田信長が勝利したというのが事実だ。
@YMZnoMASAKI そう言われれば、乱世で組織を維持するにはトップの長生きが正義だと理解しました。
妄想の話ですが、生まれるタイミング、言い換えたらトップに世継ぎが生まれるタイミングも組織を左右すると思いました。信長も数年遅く生まれたら桶狭間の戦いができず、伊達政宗はもっと早ければと言われてますし。 @maru_kaiton たぶん日本の歴史小説なら講談調、って感じだと思うんです
時は元禄ーーみたいな
ーー三河の国に松平元康、後に徳川家康となる男がおりました。しかし、未だ今川に従属する有り様。そう、いわゆる桶狭間の戦いに至っておらず、これより織田領内へと進軍する頃合いのお話ーー
という具合でしょうか(笑) 【佐脇良之(????-1573)】織田家臣。前田利春の五男。佐脇興世の養子に入り、織田信長の小姓を経て兄の利家と共に赤母衣衆を務めた。桶狭間の戦いでは出陣時から主君に付き従ったと伝わり、大河内城攻めなどに活躍したが、後に勘当されると徳川氏に仕え、三方ヶ原の戦いで討死した。

88:

2023-04-24 19:14:20 ID:
@
89:

2023-04-21 21:00:00 ID:
@
91:

2023-04-21 14:13:18 ID:
@この無三殿というのは、徳川家康の腹違いの弟(つまり久松に嫁いだ於大の息子)の一人の子供(家康の甥)で尾張徳川義直付きの松平康久のことで、その屋敷のあったのが今の松重閘門のあたり。江川と笈瀬川支流のつながっていたあたりで無三杁と呼ばれ、そこに河童が出たわけです。

92:

2023-04-22 17:12:03 ID:
@1526年、安城の松平信定がなぜ尾張山田郡の守山に領地を得ることができたのか? 駿河今川の間者ともいうべき連歌師宗長が祝いにやってくるくらいなので、信定は今川と近かったと考えるしかない。となるとその背後には名古屋今川氏も関係しているのか? #どうする家康 #桶狭間 #信長 #歴史探偵 #義元 
93:

2023-04-21 14:13:19 ID:
@笈瀬川はもっと上流の名駅西あたりでもカッパ伝説がありますから、江川・笈瀬川や堀川にはたくさん住んでいたのでしょうw
それはそれとして、跡継ぎのいなかった松平康久の屋敷は石河氏の屋敷となったとのことですが、

94:

2023-04-21 11:15:42 ID:
@桶狭間の戦い(戦国)
池田屋事件(江戸幕末)
お祭り野郎(特殊)
禁門の変(江戸幕末)
三国志が来てないけど稼働中ってのもあるし折り合いは難しそう。曹操vs袁紹で官渡の戦いとか出来るけど称号がわからん。
となると平安枠で大江山大決戦で頼光四天王ワンチャンありそうなのよね。

95:

2023-04-24 04:59:31 ID:
@その後元康が家を継いでからも今川家による支配は続いたのだが、信長が「桶狭間の戦い」にて今川義元を倒し松平元康は独立、徳川家康となった。
結果的には、信長は家康を今川家の支配から解き放ったと言える。
幼少期に二人が出逢った時から、二人の間にはきっと何かがあったのだろう。

96:

2023-04-21 20:15:14 ID:
@
97:

2023-04-23 22:43:31 ID:
@1話で桶狭間の戦いを終わらして今回も金ヶ崎の戦いをなんやかんやで終わらしたのを見ると家康が参戦してるもののメインとしては織田信長の話しかな~なのでそういう戦いは今後さらっと終わらす&もう何回も戦国時代はドラマ化されてるから当然ある程度の流れは知ってるでしょ的な作りなのかなっと